シュレディンガーの猫はだれの猫?

皆さんこんにちは。

今回は、「シュレディンガーの猫」について解説していきたいと思います。

皆さんシュレディンガーの猫って聞いたことありますか?

僕はありません。

誰かの飼い猫?どっかの地に生まれた奇怪な猫さん?って思いましたがどうやら違うみたいです。シュレ猫さん。

シュレディンガーの猫とは、1935年にオーストラリアのエルウィン・シュレーディンガーが発表した思考実験です。

思考実験て何?って言われると実は僕もよくわかりませんが、ずばり「こういうことってさ実際どうなると思う???」って感じだと思います。

このシュレディンガーの猫に関してもそんな感じです。実際に試すことはできないけど、考えると深みにハマってしまいます。

ちなみに量子力学という学問の話のようですが、僕は生粋の文系私大の出なのでさっぱりでした。ちなみに得意科目は地理です。

それでは本題。

シュレディンガーの猫

蓋のある密閉状態の箱を用意し、この中に猫を1匹入れる。

箱の中には他に少量の放射性物質とガイガーカウンター、それで作動される青酸ガスの発生装置がある。

放射性物質は1時間の内に原子崩壊する可能性が50%であり、もしも崩壊した場合は青酸ガスが発生して猫は死ぬ。逆に原子崩壊しなければ毒ガスは発生せず猫が死ぬことはない。

「観測者が箱を開けるまでは、猫の生死は決定していない」とされている

原子がいつ崩壊するのかは量子力学的には確率的にしか説明することができない。

観測者が見るまでは、箱の中の原子が崩壊している事象と崩壊していない事象は重なり合って存在している。

Wikipediaより引用

なるほど・・・。(とりあえず猫かわいそう)

でもこれ、めちゃくちゃ面白くないっすか?笑

箱を開けて結果を誰かが確認するまでは、猫が生きているのか死んでいるのかはわからない。

箱の中の猫は死んでもいるし、生きてもいる。
つまり、生と死が重なり合った状態の猫が箱の中に入っている状態。

これがシュレディンガーの猫です。

これってさ、「言うても生きてるでしょ」とか「中の音聞いてみようぜ生きてるかもしれんから」とか言うやつがいない世界限定の話なんだね。

でもそれが思考実験とやらの世界みたいで、頭の中でのみ成立する実験だからね(今調べてきた)

「生きてもいるし死んでもいる状態の猫を持ち運ぶ体験」とかしてみたい。

「生と死が重なり合っている状態の猫を囲む会」とかしてみたい。

すいません嘘です。死んでいたら嫌です。不謹慎です。

・・・なんか、この分野では有名な、二重スリット実験(そのうち記事にします)の「観測の有無」の話に似てる気がする。

シュレディンガーの猫に似てる?二重スリット実験【予告】

(はい、ここからすこし文系がイキります、すみません)

量子力学の中で重要な概念の一つに「観測者がいる・いない」で結果が変わる・結果に向かって収束するというものがあるのね。

今回紹介したシュレディンガーの猫については、あくまでも「思考実験」だから、猫が死んでるか生きてるかはわからないよね〜、だからつまり、生と死が、重なり合っているよね〜

で、終わりでしたが。

(さっきちらっと言った)二重スリット実験は違います。頭の中じゃなく、実際に実験が行われて、結果が出ています。

これがほんとにすごくて。まじで。

頭の中で考えてた思考実験が、現実で起こっていると聞かされると、

「あれ、この世界ってもしかして誰かの頭の中でシュミレーションされてる???」

みたいな感覚に陥ります。

まるで(ありきたりな表現だけど)自分がゲームの中で動かされている(自分はあくまで自らの意思だと思いこんでいる)ような感覚に。

ハイ、二重スリット実験、近いうちに記事をまとめる予定なのでぜひ読んでください!!!予告でした!

微妙にこれとは違うよねっていう【シュレディンガーの猫】

話をシュレディンガーの猫に戻します。

シュレディンガーの猫について知ったあと、

あれ、でも意外とそういうことってあるよね?

って思いませんでした?

僕は初めて知ったときすごい思ったんですね。

だって、

彼女が今日自分の家に来てるかどうかって家のドア開けるまでわからないし、(スマホはその日爆発してると仮定します)

口内炎治ってるかどうかも朝起きて水飲むまでわからないし、(何故かその日舌は固定されていると仮定します)

コピー機にほんとに紙ちゃんと入ってるかも印刷ボタン押すまでわかんないじゃないですか。

でも、それとは違うみたいです。

今言った3つは、「客観的に誰かが検証すれば事前に確定している結果があり、それに則って進む」けど、

シュレディンガーの猫は、「結果が成否同時に進んで、確定したあとに遡って決定され、かつ本当はどうだったのかが検証できない」んですね。そこが違うの。

つまり結果がわかったあとに、結果が最初からそうだったと決まるって感じなんですよね。(絶対うまく伝えられてない)

これなら伝わるかな、

自分が結果を知ったあとに、ほんとにそうだったのか?ってタイムマシンで戻ってわかるか否か

これがシュレディンガーの猫と他の話の違うところ。かなと。思います。

今回はココまで!またわかったことがあったらじゃんじゃん加筆します!

読んでくれてどうもありがとう!

P.S.この話題、通ぶりたいなら、「あ〜コペンハーゲン解釈のあれかあ〜(遠い目)」でイケる